

人々が寄り集って楽しく過ごせる新生竹楽苑誕生を目指して走ってきた2006年。
炭焼きは数回しか行えなかったが、随分環境は整い、とても気持ちよく作業できるようになってきた。
年内に最低あと1回は炭焼きをして、なんとか神諭会の皆さんにお配りしたい。
そう思っている内に、遂に12月に突入してしまった。前回、管理人不在で炭材の準備作業を行ってもらい、
「あとは焼くだけ」というとこまで来た。とは言っても焼くのが一番難しいのだが。
さて、もうすでに12月度の本部修会で焼けた竹炭をお配りさせていただいたので事後報告になってしまうが、
その炭焼き作業の模様をレポートさせていただく。
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以前、竹楽苑の窯を新調するときに古い窯を撤去してパワーショベルで整地をして下さった小松社長が再び登場。
最近は、大東家にお社が入って毎月27日にお伺いするので、何かと会うことも増えてきた。
その折、自宅の庭で飼っていた鶏の小屋が要らなくなったので、必要であればどうぞ。
という話になり、小松社長のお宅へ鶏小屋拝見に伺った。
「鶏が住んでいた小屋なんて果たして使えるのだろうか。」
不安になりつつ自宅へお邪魔するも、なんと立派な小屋だこと!
2メートル四方のとても小さな小屋だが、内装さえしっかりすれば人間が住んでもおかしくないような頑丈な造り。
外壁にはサイディングが張られていて、屋根の板金もなんと銅版ではないか(一体どんな鶏が住んでいたんだ?)。
これはいい!これがあれば竹楽苑に泊り込んで炭焼きができる!
それで早速その小屋を頂くこととなり、本日12月3日(日)朝10時、またしても有難いことに自前の3トントラックで搬入して頂く運びと相成った。
前回来て下さったときも、入り口の紅葉の木が邪魔して難儀したのを覚えているが、そのときはトラックからパワーショベルを降ろして事なきを得た。
しかし、今回は500Kgもある小屋。
降ろしたところでどうにもなるまい。
あーでもない、こーでもないとやっているうちに、タイヤが柔らかい地面にめり込んでしまい身動きが取れなくなってしまった。
タイヤの下にブロックを置いてみたり枕木を置いてみたりと悪戦苦闘の末、やっと脱出。
しかし、それで終わりではなかった。
竹楽苑の前の斜面でスリップし上まで上れないのだ。
苦心した末、上れるギリギリのところまで上って、車載のクレーン(ユニック)で小屋を吊り上げ、あらかじめ上に止めてある晃月庵の軽トラックに載せかえることにした。
なんとか載せ変えて上まで持って上がることはできたものの、今度はトラックが軽すぎて上れない。
後輪に負荷をかけるためみんなで荷台に乗り、勢いをつけて駆け上がる。
「よし、のぼった!」
やっとのことでトラックも小屋も上まで持って上がることができた。
「さて、どこに降ろすの?」
「窯の右側のトイレの前に降ろしてください。」
そうお願いして吊ってみたのだが、トラックから見て横側になるので、トラックの重心が悪く小屋の重さに負けて横転してしまう危険性があった。
そのため非常に残念ではあったが、窯へ上る階段の左手前に降ろしてもらうことにした。
そのうち、しっかりと整地及び環境整備を行って条件が整ったら、しかるべき場所に小屋を移すことに。
それまでに小屋の内装を綺麗にして、泊り込みで炭焼きができるようにしようと思う。
思った通りに完璧に事が運ぶことはなかなか難しいが、それにしても皆さんの協力によって遂にここまでグレードアップしてきたことは本当に凄いことだと思う。
感謝感謝である。

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小屋を降ろし終わり、翌日からの炭焼きの準備に取り掛かった頃にはもう午後4時前だった。
12月にもなると日照時間はかなり短く、5時過ぎにはもう作業が困難になる。
小屋搬入のために駆け付けてくれていた面々も帰ってしまい、残ったのは私と永尾さんと成田君の3人。
少しでも人がいてくれるうちに炭焼きの準備をしてしまおうと、久々に窯に被った土をどけて蓋を開く。
長らく開けていなかったので、中が劣化していたんでしまってはいまいかと心配だったが、問題なく明日から炭焼きができそうである。
11月に皆が一生懸命切り出して準備してくれた炭材。
感謝しながら少しずつ少しずつ丁寧に重ねながら窯の中に充填していく。
3人いるとさすがに効率もよく、とても順調に充填作業は進んだのだが、ここでまたひとつ予想外の問題が発覚した。
「炭材が足りない・・・。」
数秒、動きが止まってしまったが考えても仕方ない。
足りない分は切るしかないのだから。
しかし、ここで永尾さんもタイムリミット。
一旦、晃月庵に駐車しておられる車の所までお送りして再び竹楽苑に戻り、成田君と2人で不足分の切り出し作業を開始しようとしたが、辺りはすでに暗くなってしまい、近所の手前もあるので作業を諦め、明日準備することにした。
準備も完了せず、なんか中途半端な気持ちで落ち着かなかったので、ホームセンターに行って環境整備に必要な備品を買い揃えることにした。
スコップ・つるはし・のこぎり・ほうきetc・・・。
皆さんからお預かりしている竹楽苑募金の中から厳選して道具を購入、明日からの炭焼きに備えることにした。さあ、明日は何時に火入れができるだろうか・・・。

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12月4日(月)、この日も朝10時から作業を開始。
楽観的推測では、午前中に不足分の炭材準備作業が終了し、午後から火入れができる予定だった。
が、しかし、予想以上に不足していて、休みなく必死に作業するも、かなりの時間を要してしまった。
充填が完了し、火入れを開始したのはなんと午後5時半であった。
ここのところ、屋外で作業する機会がなく体も動かしていなかったため、体力も落ちていた。
調子のいいときであれば、ひとりでも短時間でかなりの量の炭材の準備をする自信があるのだが、今回はかなり動きが鈍かったようだ。
確かに、竹を切り倒し、58センチに切り、割って、節をトンカチで落としていく作業を休みなくひとりで延々と続けるのは、ちと過酷な作業だったが、それでも試練と受け止めてガムシャラに作業した。
しかし悲しい性である、これくらいやらないと充実感が味わえないのだから。
だからかえってよかったのかもしれないが・・・(笑)。
火入れする頃には、もう辺りは暗かった。
「さあ、今晩はどうしよう・・・。」
中途半端な時間に火入れをしたものだから、庵に帰るタイミングが難しい。
いつもなら、朝に火入れをして夜の適当な時間に一旦帰って休みを取るのだが、まだ火加減も安定していない。
それに近所の方の目もある。
「よし、仕方あるまい。今晩はここで夜明けを待つか・・・。」
そう決心して、薪を焚き続けた。
冬の山の気温は面白いもんで、陽が暮れるにつれて徐々に寒くなるというよりは、冷蔵庫の温度調節のツマミを一目盛ずつ、カチャッと回したように急に冷えてくるのだ。
これはあくまでも体感だが、夜がふけるにつれてはっきりとわかるように温度が下がっていく。
はじめは窯の暖かさでなんとかいけるだろうと、またしても楽観的推測をしていたのだが、それはとんでもない誤算だった。
窯に向かって薪を焚いていると、前面は熱いくらいなのだが、背中が凍るように寒い。
たまに背中を窯に向けたりしてごまかしていたが、窯の方を向いた瞬間に背中が冷たくなる。
これはたまらん、とばかりに後ろ斜めで焚き火をするが、窯との距離があり過ぎて全然暖かくない。
いてもたってもいられなくなった私は、ひとつのアイデアを実行した。
窯の焚口から少し離れた所に脚立を立てて、コンパネを乗っける。
そして、その上からブルーシートをかぶせたのだ。
外からの見栄えはなんとも格好のよいものではないけれど、中に入ってみると想像以上に快適な空間が出来上がっていた。
内部に新聞紙を敷いて、寝転がってみる。
「おお、なんて気持ちいいんだ。」
路上生活者と呼ばれる人たちの生活を垣間見たような気がした。
生活空間というには不十分だが、この癒されるような懐かしいような感覚は何なんだろうか。
アウトドアの大好きな私であるが、確かに文明社会の求める生活とは何か別の安心感がある。
自然と共にある事が強く感じられるからか?
本当にシンプルに自分だけの空間を確保できたからなのか?
前世、路上生活をしていたからなのか(それは多分ないと思うが)?
やや興奮気味の私だったが、すぐに我に返った。
ブルーシートの間から吹き込むすきま風がメチャクチャつめたい。
これじゃあくつろげたもんじゃない。
体を起こして焚口に向かい、ローソクを付けて読書してみた。
シートに囲われている分、確かに暖かいし周りも余り気にならない。
しばし一人の世界を楽しんだが、同じ姿勢は疲れるし、さっきよりましだとは言えやはり寒い。
途中、数時間だけ様子を見に成田君が来てくれていたが、日付が変わる頃、文明の中へと帰って行った。
真冬に真夜中の竹林で一人っきりで過ごすにはちょっと無謀過ぎた、と備えが足りなかったことを後悔しながら、また数時間頑張った。
しかし、真夜中に少しも横になれないのはかなり辛かった。
ちょっとでも横になれれば、随分体力も持っただろうに・・・。
時刻は5日の午前3時近かっただろうか、遂に諦めて一旦、晃月庵に帰る事にした。
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晃月庵に帰ってお風呂に入ってからしばし床に就いた。
文明の有難さが身にしみる瞬間。
布団に入った瞬間、意識が落ちていた。
仮眠してすぐに竹楽苑に戻るつもりだったが、かなり疲労していたせいもあり、作業を開始したのは午前10時過ぎだった。
火力が落ちている焚口に急いで薪を追加する。
間もなくして火力が戻り、煙突から濃い煙が出始めた。
昨日、実は火入れを行うのが遅くなった理由がもうひとつあった。
窯後方下部に竹れきを抜くためのパイプが取り付けられているのだが、そのキャップが固まってしまっていて外れなかったため力を込めて回したら、根元から外れてしまったのだ。
何度もキャップを外そうと頑張ったがとうてい人の力では無理そうである。
辺りは暗くなって段々と手元も見えなくなってきた。
どうしようかと悩んだが、ここで炭焼きを中止する訳にもいかず、応急処置を施すことにした。
細い竹を二つに割り、その片方の節を落としてパイプの取り付け口に突っ込んで、竹れきが流れ出るようにしたのだった。
パイプの根元は、窯に覆い被さっている土の遥か中の方なので、その穴から出る煙や蒸気がモクモクと隙間から立ち昇った。
しかし、なんとかバケツには竹れきが溜まってきていたのでよしとした。
煙突から採れる煙のしずくも、ホームセンターで調達した小物で上手く採取できた。
炭焼き期間中の食事は、晃月庵に戻った時に佳史子ちゃんが持たせてくれたカレーとご飯とコーヒー。
お鍋のカレーを火にかけて温め、冷たいご飯にかけて頂く。
野外の食事はなんとも美味しかった。
気温がとても低いので、2〜3日であればご飯もカレーも腐ることなく、また、魔法ビンのコーヒーは終盤でもまだほんのり温かかった。
夜は過酷だが、日中はなかなか快適な路上生活者気分だった。
炭焼き2日目は、淡々と薪を焚きながら煙突の煙の色をチェック。
その合間に、動かしたトイレをきっちり設置し直した。
排泄物を受けるタンクを地中50〜60cm位下がった所に設置しなくてはならないため、そのタンクが置けるスペースを掘削した。
竹林の掘削作業は大変骨が折れる。
至る所に竹の根っこが張り巡らされていて、普通にスコップだけで掘ることはできない。
それを想定して昨日購入しておいたつるはしがここで登場。
力任せに土を起こしていく。
が、根っこに引っかかると全く歯が立たない。
結局、つるはしで土を起こし、ハンディタイプのスコップで根っこの周りの土を取り除き、露出した根っこをノコギリで切り落としていく。
という作業を延々と繰り返した。
まるで発掘作業をする考古学者のようだった。
この作業は必死にやってまる2日かかったが、出来栄えにはちょっと満足している。
一生懸命やって、限られた時間でひとつの作業を完結できた喜びは大きかった。
あとは、薪が大きすぎて窯の焚口に入らないので斧で割っていき、今晩に備えた。
余りにも大きすぎて手頃な大きさにするには難しい木に関しては、全て横の焚き火で燃やした。
もう、かなり古く腐ったり虫に喰われたりしていたものも数多くあったので、一度全て処分して綺麗にしたかったのだ。
そう思い、勢い良く燃やしてやがて夜が近づくと、今晩を越すだけの薪が残ってないことに気付いた。
急いで、八百忠の忠善さんに電話して、あるだけの薪を分けて頂き事なきを得た。
お陰で、全て古い薪は取り除かれ、窯の向かって左側はとてもすっきりとした。
通常、薪を焚き続けるのは24時間〜48時間で、煙突の開け具合と煙の色で変わってくる。
充填した炭材が若くて水分を多く含んでいることや、竹れきパイプの損傷、今までのパターンなどを考えると今日中には精錬にかかれそうにはなかったが、いつ煙の色が変化して精錬のタイミングが来るか分からないので、できる限り窯の具合に付き合うことにした。
いつも炭焼きの時は、この辺の加減で戸惑う。
炭材の充填の仕方、薪の焚き具合、煙突の開け具合・・・。
今までもいろいろに気付く点は改善してきたが、なぜか一向に納得のいく硬くて良質な炭が焼けない。
ましてや今回は、今年最後の炭焼き。
窯に問題はあれども、何とかしていい炭を賜りたいところだ。
普通なら、だいだい24時間位で精錬にかかれる筈なのだが、全く煙の色は変化することなく、冷え切って固まってしまった竹楽苑の竹林に漂
う、月光で青白く光る煙を見つめながら夜は更けていった。
この晩も午前2時過ぎ位だったろうか、昨晩よりも一枚厚着をしていたのだが余り関係なく、また、疲労もピークに来ていたため、一旦、晃月庵に戻って体を休める事にした。
3日目、6日の朝。
気になるのは煙の色。
しかし、まだ透明には程遠かった。
この日も一日たっぷり環境整備に取り組んだ。
誰とも会わず会話もなく孤独な作業が続いたが、無心に取り組んでいると会話ではない自然とのコミュニケーションのようなものを感じた。
自然と共にあるというか、人間が思案で作り出した仕組みの渦の中でエネルギーを消耗する労働とは根本的に違う何か。
文明が進んで忘れ去ってしまうには寂しすぎる何か。
そんなものを感じながら、この日も太陽が沈んでいくのを見送った。
もうそろそろだろう。
と何度も煙の色をチェックするが、透明というには無理があり過ぎる。
しかし、長いなあ。
と窯の中がどういう状態なのかとても心配になったが、ここで中断して精錬を開始する訳にもいかず、結局また夜3時位まで竹楽苑で過ごし、晃月庵に戻った。
さて、火入れ4日目、火入れを開始してかなり時間が超過しているためこの日、煙突の煙を見るのがちょっと怖かった。
「すでに煙が透明になっていたらどうしよう。」
と思っていたからである。
実際は、随分と薄くなっていたもののまだあと少し、という状態だった。
しばらく様子を見て、ほぼ透明になったのを見て精錬にかかった。
あとは、90分ごとに煙突・焚口・竹れきパイプと閉じていくのみだが、問題は竹れき採取口をどう閉じるか、ということだった。
根元からは多量の蒸気が噴出していたため、トンネル状になっていた隙間もほぼ崩れてしまっていて、応急処置で突っ込んだ竹を抜いて、もう一度パイプをさせるような状態ではなかった。
土を盛った窯の上部からも蒸気か煙が漏れている。
これはかなりやばい。
密閉できないどころか、高温の蒸気に晒され続けた窯の土が非常に微粒子になってしまい、ボロボロと崩れ、土のかさが沈んでいく。
仕方ないので、採取口を土で閉じてレンガの破片を詰めた。
それでもなお窯の土の間から蒸気か煙が立ち昇ってくる。
あまりスッキリした炭焼きの終わり方ではなかったが、これ以上の工夫もできそうになかったので、産土の神様に3日半に亘るお導きを感謝し竹楽苑をあとにした。
こうして過酷な3日半の炭焼きは終了した。
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12月14日(木)、天候はあいにくの雨。
お昼のお祈り終了後、軽トラックに竹炭を入れるためのケースを積んで竹楽苑に向かった。
さあ、どんな炭が焼けているのだろうか緊張の一瞬だ。
あれだけ見通しの暗い炭焼きだったとしても、一生懸命やったからわくわくするものだ。
産土の神様にご挨拶の後、ケースを窯の横に準備して窯の蓋を開けた。
なんとか灰にならず、炭が残っていた。
問題は、炭の硬さだ。
窯の中に手を突っ込み、一掴み竹炭を出してみる。
「ん〜、微妙。」
前回とあまり出来栄えは変わってはいなかった。
まあ、それでもこれだけのトラブルの中、焼けているだけありがたいことだと感謝しつつ、全ての竹炭を取り出した。
全部でケース4杯分の竹炭が取れた。
竹酢の方は、そこそこの量が採れてまずまずであった。
竹楽苑の竹酢はとてもよく効く。
と神諭会の方たちから好評を得ているが、それは産土の神の恵みの中で作業させてもらっていることのほかに、天地のバランスが程よく取れているから、ということがあると思う。
詳しく説明すると、煙のしずくが実は竹酢で、普通はこれが出回っている。
しかし、新野先生の作った窯は、竹れきの採取が可能であり、この二つの天(煙)からのエキスと地(竹れき)からのエキスを混ぜて蒸留をかけているのでバランスがよいのだ。
ご入り用の方は、遠慮なく声を掛けて欲しい。
さて、晃月庵に持ち帰った炭であるが例の如く、ゲストハウスのジョジョ君の小屋の横に置かせてもらい、12月度の本部修会で配る準備をした。
段取り的になんとか間に合い、修会当日、参加された方たちに炭を僅かずつではあるがお配りすることができた。
多少脆いのが難点だが、竹楽苑で心を込めて作った竹炭。
どうぞ様々に活用して頂きたい。
まだまだ続く、新生竹楽苑のための環境整備。
2007年度も、さらに精力的に作業していきたいと考えておりますので、ご協力のほど宜しくお願いいたします。
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